またアメリカへ?!

あ〜、またアメリカに行くハメになるかもしれません。

あの世界の大国は、まだ僕に居てほしいのでしょうか??


教員免許を更新したんだけど、「指紋が提出されていない」と言われてしまいました。


あの、「前にとった人は必要ない」って書いてあるのに、何故?


たった30分、指紋を採って、3000円払うためにアメリカって・・・。



ちょっと鬱です。





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今後の予定

とりあえず、いろいろ飛行機のチケットを取ったりしたので、今後の予定のアップデートです。


4月3日(木)から4月9日(水):タイ・バンコクに行っています。

5月21日から27日までアメリカに行ってきます。
5月21日(水):
バーレーン出発ー午前1時半。
デンバー到着ー午後1時半。
6時頃〜:数学科主催のパーティ。

5月22日(木):
朝起きれたら、教育委員会
昼:空き
夜:空き

5月23日(金):
今のところ一日中空き。

5月24日(土):
朝:卒業式
昼:空き
夜:空き

5月25日(日):
朝:空き
昼:数学科主任の家でベイビーシャワー
夜:空き

5月26日(月):
デンバー発3時半

5月27日(火):
バーレーン到着夜8時。

6月30日から8月14日まで日本にいます。


予定が埋まり次第、アップデートしていきます。

タイトル変更

しました。


便利な世の中で、FC2は、他のブログの記録をインポートできるそうで、1年目に使っていたライブドアのブログをインポートしました。

なので、1年目も含まれるので、無難に、A Teacher's Diaryとしました。


大して、中身のあることを書いている訳ではないのですが、教え始めてからの記録をそれなりの形で残しておきたいな、という理由でやっていこうと思います。


それと、いろんな国で教える、というのは、今後、自分のライフワークになるだろう、と確信しています。ある国で働いた記録が、これから世界各国教えようとしている人への助けとなればな、なんても思っています。

これからも、お付き合いください。

2007年最後の日に振り返る(3)

ブログを書き始めてから、できるだけ「今年こそは・・・」とか目標を立てるのだが、今まで一度も「コレ達成したな」とか、省みることをしなかった。なので、あと一時間半のうちに、今年の目標が達成できたか、というのを書いてみたい。

ちなみに、前のブログに今年の目標を元旦に書いているので、それを参照しながら。。。

一番の目標は「アメリカ残留」でしたが、ご存知の通り、米国にはいません。その代わりにあげていたのが「就職活動」。

今回はちょっとオープン(?)に世界まで視野を広げてみて、中東を主に、教職の仕事にアプライしました。

「本当に夢」と、書いてみたけど、現実になったから、目標達成でしょう。

2番目の目標はCSAP。
一番頭を抱えたものだったが、まあまあのできならしく、良かったのではないかな。
現に教委から「CSAP対策の授業を見せてください」なんて言われましたが、丁寧に「バーレーンまで来てください」と返信してみた。自分とこの人事くらいちゃんと管理しろ、と。

3番目は数学の指導法に関して。
それなりにいろんな本を読んで、アクティビティなどを考えてみたり、実践はしてみた。
その中で、一番効果があったのは、”Discovery”(発見学習)だと思う。
特にGeometryのクラスでは、パソコン使ったので、これは効果があったと思う。
が、数学専攻ではないので、指導法・内容共に勉強していかないと、と焦る今日この頃です。

4番目の目標は、学級経営。
国が変わっても、これには苦労する。
でも、逆にこれがうまく行けば、教員生活は華のように思える。
もっといろんな本を読んで研究しないと。そして実践しないとな、と感じる。

5番目は、先生としての貫禄を出す。
出てますか??自分では応えられません。
でも、ネクタイはいつもしているので、先生チック(死語?)にはなったけど。
現任校からは、"Mr. Fumi"で通っています。ミスターがついているので、まあ先生とは思われているようだけど。

皆さんは今年の目標どれだけ達成しましたか??

明日は、2008年のを考えないと・・・。


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2007年を振り返って(2):別れと出会い編

今年は国も学校も変わったから別れ/出会いというのは沢山あった。

まず、グリーリーでの別れは非常に悔しい。同僚には本当に恵まれた。数学教員になってから、右も左もわからない状態の俺を支えてくれたのは、まぎれもなくウエストの数学科の先生方だった。公私ともにいろいろ気にかけてくれ、ビザの件で、自分の財政が破綻しかかったときは、毎日のように夕飯をごちそうしてくれた。また一緒に働きたいチームである(医龍みたい)。

そして、その同僚と格闘した学生たちはもちろんのこと、忘れられない。特に9年生は、アメリカに残れれば、4年間教える予定だった(そういう風に時間割も作ってもらった)が、こともあろうに、ビザの一件で、1年でのお別れと成ってしまった。

見よう見まねで数学を教えていた社会科教員によくぞここまでついてきてくれたもんだ、と感謝したい。

そして、日本人をはじめとする沢山の友達。いろいろ悩みを聞いてもらったり、日頃の鬱憤をはらしたりそういうことにいろいろつきあってもらいました。

そういう方々とお別れして、2年ぶりの日本へ帰ってきて、今度は約10年ぶりに中学・高校時代の同級生と再会。本当に懐かしく、ドタバタしてはいたが(俺の日程の都合で)、有意義でした。今後は毎年やろう、と乗り気。

8月から新天地でお世話になっている方々とは出会い。

新任の先生をはじめ、2年目勤務の先生方にはいろいろアドバイスを頂いた。

数学科の主任は、毎週のように愚痴を聞いてもらっているし、俺の隣の教室の先生(旦那さんは数学で俺と一緒、奥さんは小学校1年の算数の先生)ともいろいろ夕食に誘ってもらったりもした。

中学高校の先生方よりも、俺は小学校の先生方との交流が沢山ある。
まずは、オーストラリアからの小学校の生徒指導の先生と美術の先生とはいつも映画にいったりする。日本人のホストファミリーだったことっもあり、とっても理解のある方だ。
今年新任の2年生の先生(オーストラリア)とエジプトからの音楽の先生とも、しょっちゅう食事やショッピングが一緒。

仕事の件では副校長にいろいろ助けてもらっている。本当にたよりになる管理職だ。スモーキングクラブの一員。

それと、母親役、理科の先生。彼女は何かあれば、いつも誘ってくれるし、自分の気分が沈んでいるときには、それを察して、教室にきて「アー ユー オッケー?」と気にかけてくれる。本当に世話になりっぱなし。

7年生の学生も近頃はようやくなついてくれた(いや、俺に慣れてくれた)。最初は学級崩壊するんじゃないの?とまで噂されていた(去年は崩壊したらしく2人の先生が途中で辞職)学生たちがなんんとか持ちこたえてくれた。し、それ以上に「教育には時間がかかる」ということを実感させてくれた連中でもある。問題児のほうがかわいい、っていうじゃありませんか!彼らの親とも仲良くやっているし、何分俺のサポートまでしてくれる。そういうことを考えると、持ち上がろう、という気にもなる。他の先生の前では我7年生は豹変して、ものの5分と経たないうちに学級崩壊になる(もの投げる、アラビア語をしゃべる、たって歩く、などなど)らしく、「お前のクラスの補充には行きたくない」とまで言われた。(嗚呼我学生)他のクラスではひどいらしいけど、数学の自分のクラスでは徐々に落ち着いてきた。成長とみてとれる。

もう2、3年すれば声変わりするんだろうな、俺より背が高くなるんだろうな、とか思う。

と同時にまだ早いけど、奴らが卒業するところを見てみたい。それを糧にがんばっている。


それと、ここに来て日本人学校の先生にはうちの学校の5年生共々お世話になりました。あの1日はバーレーンにきて、初めて日本人とあったこと、日本語をしゃべったことが「感動」に近く、感無量でした。

今年の別れは、一時的なものと思っています。またいつか会えるでしょう。出会いは一期一会。今後とも大事にしていきたいと思います。


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2007年を振り返って(1):自分史

大した歴史ではないけど、振り返ってみるのは大事だと思う今年。それも蓋をしたいして置きたいこともあるが、あえて思い出してみようと思う。

この1年、2007年1月からはアメリカ残留のためのビザ発行の手続きで、精神的にも肉体的にもかなり疲れたような日々だった。

「おりなかったらどうしよう」という不安と、あれもこれも必要だ、という神経をすり減らす書類作成と教委の人と仕事の有給をとってまでしたことは、やはり過労が大きかったような気がする。

結果はご存知の通り、今はアメリカに居ない訳で・・・。それでもこの経験は大きかった。とっても大きかった。何分、自分の人生が、実力以上に運に左右されたんだから。

(4月からうすうす、想像がついていたが)5月にようやく、「ダメ」という結果報告がきて、今度の悩みは就職活動。2年目にして2回目の就職活動。(クビに成ったかのような気持ち)

でも、その就職活動もそんなに時間はかからなかった。現任校の校長先生からお誘いを受け、結局オッケーになったので、仕事を今失おうとしている自分にとっては、ある意味、助けられた。

まあ、第2志望も考えていたこと、それに対して、去年あたりからリサーチ、レジュメなどを送っていたことが今年に成って花が咲いた、ということだろう。

人生、何が起こるかわからない。でも、そのときそのとき、最大限の努力をしていれば、自ずと進む道は見えてくるような気がする。

というわけで、2007年7月4日、独立記念日にアメリカを出国。2年ぶりに日本に帰国しました。

改めて日本は母国だな、と感じさせてくれる(食べ物がおいしい)。その一方で自分との間でブランクも感じる。(携帯使えないなど)


約1ヶ月後、8月19日に、バーレーン王国へ飛び立ち、教員生活の2年目をはじめる。

自分としては2年目ではあるが、まだ若葉マークを外せない2年目。しかも今回は7年生(中1)の数学担当となる。しかも悪名高い学生たちを持たされることを告げられ、バーレーンに来て1日目にして、不安になったり。

でも、学生とのやり合いは、自分の仕事の範疇なので、まあ何とかなるが、一番嫌だったのは、同僚とのもめ事。これに関して、アメリカでも経験がなかったので、自分自身、嫌気がさしたのも事実。(まだ辞めてませんが)イスラム文化よりも他国の教育文化にカルチャーショックを受けた。

でも、一つ悟ったことがある。
1回でも自分から辞めよう、と思って思いとどまったころから、逆にクビにならない以外は、絶対にこの仕事は辞めない、と思うようになった。

引き止められたのが、仲の良い同僚だけでなく、学生やその親からも言われたことが正直大きいし、「必要とされている学校にいく」のが信念の自分としては、途中って責任を投げ出していくのには罪悪感がある。

触らぬ神に祟りなし。「あっ、この人苦手だな」と思う人とは、距離を置いて、挨拶程度で話をするだけにした。(これが来年以降も続くかどうかはわからない)


自分が「こういう教育をしよう」と思ったら、そう進むべきだ、と思う。他人からとやかく言われて、やっていることがわからなくなるよりも、「自分はこうしよう」と思ったら、他人に何を言われようが、突き進んでいこう、と思う。

なので、今断言しておきます。(来年の目標になるだろう)


バーレーンでの現任校での仕事、当分辞めません


学校が破綻する、解雇通告を受ける、戦争に巻き込まれる(これが確率高かったりするが)、自分がこの学校に「必要ではない」と感じることがある、他の学校(日本がいいな)から「必要なので来てください」と声がかかる、このこと以外では辞めません。

良い意味で「揉まれた」1年だと思う。

学生の中では問題があるし(今までの事件簿を見ていただければわかると思いますが)、生徒指導上難しい学生もいるけど、総じてやりがいはある。7年生の成長過程を見て取れるのは、うれしいの一言につきる。アメリカ人と良い意味でまた違った学生を教えれる(全員アラブ人だけど)のはプラスだ。

歴史の先生というよりも、彼らの先生でいたほうがいいのかなぁ?「持ち上がってくれない?」と親や学生だけでなく、同僚からも言われる(誰もあのクラスを教えたいとは思わないだろう・・・)。


それと、精神的には本当に楽になった。この間友達にメールで送った写真「幸せそうだね」とよく言われた。日々辛いことがあるけど、でも後々考えると大したことではなかったりする。

バーレーンに来て、この国をまだ嫌いになる理由というものはない。労働ビザも難なく出たし、人種差別どころか、日本人はかなりよく見てくれる(これも差別か?)。こういう環境はアメリカで生活してきた人間にとっては、本当にストレスレスだ。日本でギクシャク、キュウクツな生活よりも、こういう生活の方が俺には慣れているのかなあ?

いずれにしろ、今年1年の転機は、突然訪れ、それも自分の人生の中で思いも寄らないが良い方向に向かっている気がしてならない。


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