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中学校ではたくさんの先生方にお世話になった。3、4回、「中学校編」が続きます。

中学校に入って、一番お世話になったのは、担任以上に当時教務主任だった、S先生。
先生は、地元の中学校とは深いつながりがあって、

うちの母親が国語を習い、
俺の代は教務主任で、
弟のとき校長先生として、勤務した、

という親子でお世話になった先生でもある。

自分自身、なぜこんなにS先生と仲良くなったのかはわからない(笑)。

ただ厳しい先生だったことだけは覚えている。一、二回、国語の授業になってきたとき、

竹刀持参(!)
だるそうにしていると、怒鳴る(!!)
寝ている生徒、肘をついている生徒には、チョークが飛ぶ(!!!)

という規律には厳しい先生。ところが、授業はとてもわかりやすい。

中1の当時の教科書にあった、「木琴」(だったような?)の詩の授業で、解釈の仕方を教えてくれたり、何と言っても、これも中1の教材「赤い実」(井上靖)の授業のときの、その芸術的板書。
たかだか、中学校1年生の「わけもわからない」意見を忠実に板書し、いろいろ考えを引き出すやり方は今でも印象に残っている。

僕が中2になった時点で、Y北中の教頭先生になり転勤。その後もつながりがあり、よく家に遊びにいったな。

中3になったときは、勉強合宿なるものをS先生の家でやった。朝から晩まで勉強に付き合ってもらった。(数学以外の教科だったけど)

俺が高校に入って一人暮らしをしていたとき、S先生の奥さんがラーメン屋を経営しているので、「ラーメン食べにこい」といつもラーメンなどをおごってくれた。

浪人中は連絡がとれなかった(東京にいたもので)。

僕がアメリカに行く前に中学校の校長職を退職。
いくらか時間があったので、いろいろ話をした。教育について語りだすと、冷めた口調で熱いことをいう。

去年帰ったときは、いろいろ私事があって大変だったが、いろいろ時間を作ってくれた。

先生になることを告げたら、喜ばれた。奥さんは「こういう先生にはなるなよ」とか茶化していたが、「いや、こういう先生にならないとな」と思った。厳しさの中に優しさがある、とはS先生のためにあるような言葉だと思う。

S先生とはもう10年以上の付き合いになる。授業がうまくいかなかったとき、学校でいいことがなかったとき、いつも国際電話をして相談していた。

いつも
「半分日本人を忘れて、半分アメリカ人になれ!」
とか
「日本さくるな、いいごどね」(日本に帰ってくるな、いいことがない)
とか
「アメリカで先生やれ」
とか思い出すと、「アメリカで先生をすること」にいつも励まされていた。

とS先生のことを書いていると、「久しぶりに電話してみようかな」という気になった。
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引っ越しが終わった。が、荷物整理が全然進んでいない。

どれほど進んでいないかというと、ダイニングが本で埋まっている状態。

社会から数学を教えることになったに、自室には数学関係の本をおきたいし、とすれば、どこに歴史関係の本を収納するか、非常に難しい。

それよりも部屋で荷物整理をしていたときに一番びっくりしたことと大変なことがあった。

さて、それは何でしょう??

いまだにそれは続いているので、今日も奮闘しなければ・・・。
 
今日も小学校のときにお世話になった先生。

H先生は俺が6年の時に転勤してきた。(そして俺が卒業と同時に他校へ教頭として転勤。)

直接は教わったりしなかったのだが、一番「すげー!」と小学生ながら思ったのが

パソコンのプロ

だった、ということ。当時はパソコンも高くて、MS-DOS ver.3とか言うものだったし、HDDも120Mとかいう、今考えれば信じられない時代だ。

そんなときに、H先生は、放課後、いろいろパソコンについて教えてくれた。まだWindowsのない時代で、主に一太郎や松(ワープロソフト)やロータス123(表計算)の使い方、さらには、富士通のワープロの「親指シフト」まで。

小学生ながら、「これからの時代はパソコンだから、知っておいた方がいいぞ」、というH先生の言葉を覚えている。

指摘の通り、今の世の中、パソコンがないとやっていけなくなった。
俺が中学校に入ったときから、学校にパソコンを入れ始め、技術家庭の時間で、多少なことを習うようになった。が、その学習内容はチョロい分野にすぎなかった。

アメリカに来る前に、一度だけお会いしたことがあった。校長先生になったときだ。
校長先生になって、その立場からお話を聞くと、「こういう校長先生のもとで先生ができるというのは最高だろうな」と思った。

また、いつか会えるかな。
 

ブログランキング

今更でもないが、Livedoorのブログに引っ越しをしたのは、ブログのランキングに参加するためです。

ところが・・・

今まで、何位なのか、っていうのを知りませんでした(笑)。

ブログランキング(http://blogranking.net)のほうは、そのロゴであらわれるのだが、ブログ村のほうは、さっぱり、どーなってるんだか、わからなくて、友達に聞きました。

そうしたら、

マイページにログインしろ

とのこと。考えてみれば、登録してから、一回たりとも、ログインしたことがなかった。

おそるおそる行ってみると、そこには総合ランキングやら、ジャンル別ランキングがあった。

というわけで、報告します。(総合;教育;海外生活の順です)

6日前:1050位;60位;34位
5日前:1392位:71位:47位
4日前:1320位:71位:44位
3日前:1482位;72位;48位
2日前:1700位:83位:59位
昨日:2043位:96位;61位

ガーーン、どんどん、悪くなっているではないか。

「数字が書くことの励みになる」と思ったので、ランキングをはじめました。
でも、一回一回、タグを投稿するときにはるのが面倒で、左(←)のコラムにクリック欄をつけました。

友人いわく、「これがいけないな。」

そうなんですか・・・。

今日は↓にも貼ってみます。1日1クリック、よろしくお願いします。
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先生になりたい、という人は誰しも影響を与えられた先生がいる。

小学校時は、僕の場合2人いた。

一人目。T先生。
当時、T先生は講師で、2年生のときの担任(とはいっても、4月から12月まで)だった。
8歳のときだから、もう20年程前の話になるので、ぼんやりとしか、覚えていない。(それじゃ、紹介する意味がないじゃないか>>俺)

ただ覚えているのは、厳しい先生だった。怒鳴ったりはしなかったけど、子供ながら、「あっ、今キレるな」っていうのは表情でわかった。(そんな気の短い先生ではない)

そんな先生でも、何故か嫌いな人はいなかった。嫌いな人がいないと言うことは、もちろん、保護者も同じだった。

今でも覚えているのが、保護者で、「T先生を送る会」というのをやったことだ。それほど保護者に好かれていた先生。うちの親もいまだに「年賀状を書きなさい」だとか気を遣うように言われる。

T先生は新採用で他の学校に転勤した。それから7、8年間、年賀状などは出したりしたけど、全然あう機会がなかった。

ところが、ひょんなことで、再会をする。16のとき。
それ以来、話をする内容と言えば、学校のこと。昔のことも話はしたが、いろいろ貴重なお話をさせてもらった。アドバイス、例えば「この本読んだ方がいいよ」とか、そういうのも教えてもらった。

アメリカ来る前に秋田の某駅(いまは無人になりました)で見送りをしてくれたのも、T先生でした。
5年ぶりに去年再会したときも、教材研究やら、英会話やら、いろいろ話ができた。僕の高校の同級生も一緒に学年部を組ませてもらったとき、いろいろ助けてくれたそうだ。「T先生にアドバイスをもらうと、やる気が出る。」俺もそう思ったな。

20年も連絡を取りあってくれる先生がいる、というのは、とてもうれしい。

今年は異動になり新天地でがんばっていることと思う。
 

雑務いろいろと

引っ越しは終了。今日はこれから必要なものの購入に走らねばならない。

それよりも、今日はうれしい話が。

コントラクト(契約書)にサインしてきました!!!!!!!

Board of Educationのミーティングで、少しもめたらしく(ま、「どうして日本人を雇う必要がある?」ってなことだったらしい)、校長先生が尽力してくれたおかげて、契約書発行になったわけです。

それと同時に、コロラド州の教育省(州教委)で、免許状の発行ができる、ということになりました。この免許証のために、どれだけ苦労したか・・・。

ただいまはOptional Practical Training(OPT)で働くことになりますので、2007年6月30日まではリーガルでアメリカで働けます。

僕は新任で、前にも述べたように、Probationary Teacherなので、コントラクトも1年です。来年契約更新の面談があるだろうから、それまでワークビザを取れるようにやっていかないといけません。

指導ができない、なんてことでクビにならないようにしないといけないな。ビザがおりなくてクビのほうがまだましだ(悔しいが)。

ところで、ワークビザ、本当に公立高校の先生にはおりるのかなー?

弱気なときは、

免許状と違う、数学教えてるんだよ(クオリファイはされているが)。国はやっぱ黙っていないでしょ

とか考えるし、強気なときは、

いや、アメリカ人がなりたくない数学の先生をやってるんだ、人員不足を手伝っているんだよ、俺は!

とも言えるし・・・。

移民法のおかげで、いろいろ面倒なことになると思います。
もし、ワークビザのことで、多少(不安を与えない程度)なりとも知っていることがありましたら、コメントください。
 

東大阪

奈良の事件もさることながら、大学生の生き埋め事件、というのもある。
正直びっくりした。

男女間の関係がもつれたて、因縁を付けられた大学生が、今回の首謀者に相談したら、

逆に生き埋めされた

っていう事件。人間関係が複雑なので、そこは朝日新聞の関係図を見てもらえばわかるけど、この事件の記事を先に読んだとき、これは

火サスか?

と思った。古畑任三郎もびっくりの事件だと思う。(あのシリーズは集団暴行を扱かったものはなかったが)

ところで、捜査や動機などは警察に任せて、どうしてもこの手の犯罪報道で思うことがある。

それは、容疑者を担任(もしくはコーチ等)した先生へのインタビューである。

この事件も、そして秋田の例の小1殺害事件も、学校での容疑者の様子を報道するため、担任や関係者からのコメントがあった。


ふと、思った。自分の教え子が、「容疑者」になったら・・・。

知り合いの先生のブログに(出典は何かの新書らしい)、次のようなことが書かれてあった。
***********************
一こま目…教室で女教師が子どもたちに語る
     「えー、それでは今から」


二こま目…教師「卒業文集用の作文を書きます」
     子供達「えーーー」といやな表情


三こま目…教師「これはみなさんが大きくなって…」
     子供達は相変わらずさえない表情


四こま目…教師「犯罪を犯した時に、テレビにうつりますから、ガンバッテください」
     子供達、猛然と書き始める。
***********************

笑えない話になっている昨今だ。
 

奈良

今回は奈良の事件に関して。

今回は受験も絡んだ、家庭内の問題が大きいようだ。でも、なぜ殺す必要がある??他にも方法があっただろうに。

受験を経験したことのある人はわかると思うが、家族の期待や周囲からのプレッシャーというのがとても大きい。

僕はプレッシャーに弱い人間なので、言われれば言われる程、ネガティブなほうへ進んでいってしまう。

ただ、それは両親もわかっていただろうから、赤点を取ったとき以外は勉強ということはほとんど口にしたことがない(それよりも、進学高や大学へ行くことには、大反対だった。)

受験とは全く無関係なアメリカで、こういうことがあるか、と言えば、僕の知っている限り皆無だ。

確かに「勉強しろ」とは言う。自分も学生には「大学へ行くこと必須」と言っている。学歴が必要な社会だからゆえ、耳にタコができるくらい言っている。
でも、プレッシャーというのを感じたことはないだろう。こちらの学生の親は2通り。

ひとつは、学校を信頼してくれて、自分の子供に勉強するように促す親。このタイプの親は頻繁に先生やカウンセラーと連絡を取り、子供のために最適な手段を取るべき奮闘している。こちらとしては、大変ありがたい。なので、そういう家庭で生活をしている学生は学力面で全く問題はない。
今回の奈良の事件は、このカテゴリーに属しているだろうが、子供に対する期待が大きくなり、干渉しすぎて、おこった事件ではないか、と思う。

もうひとつは、親が子供の教育に無関心な親だ。親が気にしないなら、子供も気にしない。この多タイプの親は自分の子供の教育は「どうでもいい」と思っている。このタイプの親は貧困層の親に多く、子供も働いて家庭を助けるのが普通のようだ。このタイプの親を苦手にする先生方はかなりいる。

今回の事件では、親の干渉は「ほどほどに」ということを言っているような気がする。
勉強しなければいけないのは、学生が一番良くわかっている。学生が好きなように、そして好きな道を選べるように応援してあげるのが親の努めだと思う。自分の親が放任主義のゆえ、そう思うのかもしれないが。

過酷な少年犯罪がまた増えてきた。こういうときに、自分の学生とどう接するか、ということを考える必要があるだろう。
 

引っ越し 第5弾

先週の土曜日から引っ越しをしているけれども、ようやく終わりが見えて来たような気がする。

腰も湿布塗ったら、だいぶ良くなった。(が、くさいくさい。)

今週末からはアパートのほうに移れるかな。

本当にあとは細々したものを残すのみ。

でも本がやたらとあるので、来週以降は荷物整理に時間がかかるだろう。あっ、必要なものの購入もしなければ。

 
またまたリンク先からのものです。

左のコラムのリンク欄にあります、七星来人さんのブログ投稿を読んでいて、また自分の授業、先生としての振る舞いを考えたいと思います。

1.子どもに対する深い愛情(100%ある)

2.子どものことを理解しようとする心(100%ある)

3.子どもに分かりやすく教えるためのスキル(50%くらいかな)

4.学習内容に対する深い理解(分野による。社会なら80%、数学なら70%)

5.子どもを引きつけるための話術(うーん、85%くらいかな)

6.優れた人間性(これは難しい。100%と信じたいが、90%くらいかな)

7.(これは自分で書き込める)俺は「教員同士、保護者との親睦」をエントリー。(100%)

さて、これに順位をつけろ、ということなので、やってみたいと思う。
第1位:3
第2位:2
第3位:6
第4位:1
第5位:5
第6位:4
第7位:7

アメリカの教育に浸かっていることと、自分の経験をもとに理由を話してみたい。
3の「子どもに分かりやすく教えるためのスキル」は一番大切だろう。「生徒に分かりやすく教える」ことのできる人は「先生」以外うちの高校にはいない。他のエントリーは、授業を教えていない、カウンセラーや管理職のみなさんも、みんな持っている。でも実際教室で教えているのは先生だけだから。
これは一番難しい。スキルアップというのは、実際教えてみると、自分がどれほど下手か、ということがよーくわかる。
そして、人に何かを「教える」のに必要なのが「生徒理解」これを第2位に持って来た。生徒のことをよく知っていると、そして生徒が僕のことをよく知ってくると、クラス運営が遥かにうまくいく。(つまり学生の授業中の態度が良くなる。)
その学生を理解する手段はコミュニケーション(ライティングでもスピーキングでも)によるものだが、学生が先生と話をするとき、その人間性に目を向けているのではないか、と思う。学生と話をすると、「○○先生、嫌い」と俺や他の先生に告白することがあるが、面白いことに、学生が嫌いな先生は、同僚の先生とも仲良くない。人間性に惹かれて、学生が話をしてくる、たわいもないことだけど、知らせにくる、という先生になりたいな、って思う。(ということは、それなりの人間性を磨かないといけないな)
「学習内容に対する深い理解」は社会科の免許を持っている僕に言わせれば、教える分野による、と思う。近現代の米国史を主に勉強して来た僕は、はっきり言って、南北戦争以前のことはあまりよく知らない。100番台の概説のクラスで習ったが、ピンとこない。さらに、アメリカ政治のクラス。これは絶対教えたくない。自分の無知を証明するようなものだ。なので、一時期、政治のクラスを教えていたときは、授業前日は、学校に夜11時ごろまで残って、教科書を暗記するくらいまで読んで、授業準備をした。警備のおばさんが、「まだやってるの?」と、ブリードを持って来てくれたのが懐かしい。
逆に世界地理、日本史、米国史は、準備と言えば、一歩進んで、「この事件(や人物)の偉大さを気づかせるために、どういう学習活動をするべきか」ということに重点を置く。なので、世界地理は自分も楽しめたし、学生も楽しんでいたクラスでもあった(宿題等は大学並みに出したが)
数学に関しては、例えば、ガロアの定理を教えなければならない、とか、常微分を教えろ、となったら、自分も習っていないのでわからない。でも、アメリカの高校で教える分、九九から積分までなら教えられる。(でも本格的に数学を勉強したわけでないので、70%とした)

他のことは大切だが、トップ3よりはやや劣るだろう、と思う。

七星来人さんも言っていますが、保護者からみれば、生徒から見れば、社会一般からみれば・・・と見方を変えれば、全然違う結果になると思う。

みなさんはどうですか??
 
すいません。2ちゃんみたいになってしまいました。
何が、キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! というと、



です。ちなみに

筋肉痛

もです。

引越し4日目にして、とうとう来ました。この2つ。日々日頃の運動不足がたたっているとしか思えない。

むかーし、スノボーを初めてやったときに、腰をやってしまい、それ以来、何かと重いものを持ったり、一日中立ちっぱなしだったりすると、来るんです。

しかも新しいアパートに行ったときにおこったので、ひどいひどい。(今日はひとりでやっていた)

それを見かねた、隣の方が、手伝ってくれた。ありがとう、アマンダ。(って女子かい。)

軽く自己紹介なんかして、「ま、ひとつよろしく」と、僕はまだ住んでいる方の家へ運転。腰にくる。

筋肉痛なんて、今になって来た。重いものをもった、っていえば、土曜日と日曜日なんだけど、月曜日に、「なーんだ、まだすごいのこないじゃん」と思っていたが、今日の朝、それは目を開けたとたんにきた。

体が動かない。

確か、知り合いがいってたことによると、次の日にくれば「若い」、それから日が経つと、年をとっている証拠だとか。

俺は3日目にしてきたのか。やばいじゃん。俺。年じゃん。(ってもう26だけど)

というわけで、今日の引っ越しは持っていくものは、パソ系などで、さほどなかったけど、肉体的には、普段の数十倍も応えました。
 
「教員の質向上を目的とした教員免許更新制について、中央教育審議会(中教審)の教員養成部会は26日、「現職教員も含めて導入することが必要」との答申案をまとめた。7月中の中教審総会で了承される見通し。これにより現職も含めた更新制の導入が固まった。文部科学省は今後、導入時期や更新講習の内容などについて検討に入る。」(朝日新聞より)

ついに日本でも導入される、教員免許更新。アメリカではとっくの昔から制度になっているので、まずは、この国の話を少し。

大学を卒業して、教員免許を取る資格ができたら、コロラド州の教育省(教育委員会)に免許の申請をする。
晴れて発行されれば、Probational Teacherという、3年有効の免許がもらえる。この免許は初任者に発行されるもので、例えて言うなら、「若葉マーク」。これを持っている限り、学校側で役に立たない初任者を簡単にくびを切ることが出来る。

4年目に、Non-Probational Teacherになれる。これも、免許更新にはいるだろう。州の教委に新たに免許申請する。学校側はこの先生方を簡単にクビにすることはできない。4年目から、「年功序列」がはじまるようなものだ。

ところで、免許更新。アメリカでは、Professional Developmentと称して、夏休みにいろんな大学や教育関係の会社で、先生方のためのセミナーが開かれる。それに参加することで、単位をもらえ、地区教委に報告。教育委員会は、その単位を審査して、認められれば、免許更新のための単位に加算される。

免許更新の場合は、5年で6単位を稼がないといけないが、クラス数にすれば、3単位のクラスを2つ。なので、一夏で終わる可能性もある。

高校でも、先生だけ出勤の日があって、指導法などについて話し合いをする研修日があるが、それも0.5単位として加算されたりもするので、全然ハードなものではない。

ただ、問題がひとつ。研修を受けたからと言って、教員の質向上につながる、とは限らない。ある教授の話を3時間聞けば、それだけで単位をもらえる、というものもある。つまり研修とは名ばかりで、ある意味「我慢大会」になっているクラスもある。

さて、日本の免許更新に関して私見を述べさせてもらう。
この記事を読んだときに、一番思ったのが、「日本の学校の先生方に、研修に行く時間があるのか?」ということと、「先生方の質は下がっていない」だろ、と思うこと。

校務分掌、進路指導、生活指導、教科指導、学級担任、そして部活動。その上、研修に行けと。(しかも最近、給料が下がる、という記事も目にした。)

先生方には「ゆとり」が全くない状況になっている。そんな状況で研修というのは、大変なものだと思う。

アメリカと日本の高校の先生方の扱いは確かに異なるものだが、アメリカの先生の第1の仕事は「教科指導」であって、それ以上でも、それ以下でもない。
まず、学級担任、というものはない。(小学校ではあるが)
生活指導も、管理職の仕事。(クラスで多少の指導はするが)
進路指導はカウンセラーの仕事。(推薦状はお願いされれば、先生方は書くが)
部活動はコーチの仕事。(先生と兼任でやっている人もいる)
校務分掌は教科主任以外は管理職の仕事。研究主任も教務主任も生徒指導主事もすべて、管理職の校長と3人の副校長が分担して仕事をする。

なので、先生方は、自分の教える科目について十分な研究を行うことが出来る。
確かに採点やら、ワークシート作成などで大変だが、日本の先生に比べれば、格段の教材研究の時間がある。
人よっては、夜に大学院にいって勉強している人もいる。出張なるものは、基本的にない。
先生方の研修日に、教委にいったり、近くの高校でのカンファレンスにいったりするくらいだ。

解決策としては、教育センターなどへの出張を単位に認めたり、私的な教育関連の研修にいくのも単位に認めたり、また地区内での研究会への参加を単位に認めたりするのがいいのではないか、と思う。(ただ履修内容はまだ決まっていない。)

そして、教員の質問題。確かに、ニュースでいろいろと教員の不祥事を読む機会が増えたが、それで、「全教師が」などと、極端な一般化をするのはあまりにも幼稚だ。どこの学校にも優れた先生はいる。そういう先生を見て来たから、俺はこの仕事を目指した。

教員の素質向上は教育現場で、どれだけ学生と接して、どれだけ学生に教えなければならないことを教育したか、にかかっている、と思う。それ抜きに免許更新、といっても、意味がない。

ついでながら言わせてもらうと、日本の教職課程での教育実習とは、2週間から1ヶ月と聞いた。それで「先生の仕事」がわかるのであれば、かなり楽だろう。
長ければいいものではないが、システムを整えた上で、1学期間まるまる教育実習、というアメリカのやり方はいろんな意味で有意義だと思う。

生徒に対する問題はどこでもあるので、アメリカでの教員という仕事も大変だと思うが、日本と比べれば、「教えることに専念できる」という点でいい環境が整っていると思う。
 

引っ越し 第3弾

今日も引っ越し。前にも言ったかもしれないけれど、毎年引っ越ししているので、要領というのは慣れたもんだ。ちょっと振り返ってみよう。

2000年8月ー:インディアナ州立大ハインズホール(部屋番忘れた。) 2週間の滞在
2000年8月ー2001年5月:同大のミルスホール203。エアコンなしの状況だったな。テントウ虫がうじゃうじゃいた。
2001年5月ー8月:同大リンカーンなんとか、という寮。部屋番忘れた。エアコンききすぎて寒いイメージが。俺の友達、ネズミかってたな。
2001年8月ー12月:同大ミルスホール203。
2002年1月ー5月:同大ユニバーシティーアパートメント、ユニット2、307(だっけ?)
2002年5月ー2003年5月:1件屋にすむ。大学から多少離れたところ。
2003年5月ー6月:語学学校の先生と旦那さんがスペイン行っている間、家の留守番。
2003年7月ー8月:ISU、ユニバーシティーアパートメント、ユニット4のどこか。友達の部屋に居候させてもらった。コロラドに経つ前に隣の部屋が火事になって大騒ぎしたな。

2003年8月ー2004年6月:コロラドにてホームステイ。彼らがワイオミングに移るのをきっかけに、引っ越し。
2004年7月ー2005年5月:アパートみたいな一軒家を4人ですむが、1月に入ったら、俺一人になった。(大家さんとうまくいかず、というか喧嘩して、引っ越し)
2005年6月ー2006年6月:ホームステイみたいな感じ。スケートのクラブで知り合いの友達の家で。
2006年7月ー:今の引っ越し中のアパート。

というわけで、来年、ビザさえおりれば引っ越す予定はございません。引っ越ししすぎたなー。

今日はバインダー(ファイル)を移す。昔の社会科教育の記事や本のコピーなど。ざっと20冊ほど。
明日あたりから本格的に必要なものの購入をはじめようと思う。(ベットとかね。当分寝袋でもいいかな、と思わなくもないが)
 
Livedoorのブログに引っ越しします。今度こそ、毎日更新できるようにがんばろうと思います。

アドレスは

http://blog.livedoor.jp/fumiatgwhs/

です。ブックマーク等の変更、よろしく御願いします。
 

Mixiにはまる

Mixiというのがあるのは知っていたが、ブログの方が大変で全然行っていなかった。

数日前にメールで、招待待ちがあります、的なのが来ていたので、久しぶりにいってみた。いろんなコミュニティーがあって、懐かしさのあまり、いろんな人のMixiを転々としてしまった。

いろんな人とつながっているんだなーって実感。

Mixiに入っている方、遊びに来てください。
 

予備校時代の思い出

知り合いの受験生からメールがきて、「○ゼミ行くんだけど、夏期講習でどの先生とればいい??」と聞かれた(2浪した人間に聞くなよ、って思ったが)。受験生時代(悪く言うと浪人時代)かれこれ、もう7年も昔のことだが、今でも強烈に覚えている英語の先生がいるので薦めておいた。それと同時に、有名な掲示板「某ちゃん」と某「牛乳喫茶」で、昔習った予備校の先生のスレがあったので、のぞいてみた。

彼は毒舌家で有名。よく2年も耐えたもんだ、と今の「語録」をよんで思う。例えば、

一番はじめの本科の授業でよく言ってた「ここのクラスは、社会をなめてる私大文系クラスでいいんですよね?」(受講生みんな苦笑)

英文の文型の解説のとき、「勝手に文を途中で切ってしまう人がいますが、その人は自分の人生も切ってしまいます」

たまに出て来た理科ネタで、みんながシーンとしてしまったとき、「貴方たちは文系?理系?それとも、お笑い系?」

単語の解説で、「crazyを「いかれている」と訳したあなた、いかれているのはあなたのおつむです 」

冬期や直前講習で「こんな基本的なこと知らないひと、また説明してあげますよ。春期講習にくればね。」

アメリカ人を(もしくは「こんなことも知らないのか」っていう学生に向かって)「頭が筋肉質」とか「頭の中、風が吹いている」

説明時に、「えー次の文、have no concern with~~~ 、このnoを「ない」と訳した君!ないのは合格掲示板のあなたの番号です。」

あとは、rudementaryの単語が出てきて一言。 「いいですか?rudementaryを初歩的とか原始的なとか訳しちゃダメ。
これはね、そうだなあ…うんそうだ、出来損ない!そうそう!出来損ない!! 君たちみたいな浪人生のことを言うのだよ。」

今読んでも、激しくキター!!って感じになる。

これらを思い出すと、懐かしい気分になる。この先生に英語習っていなかったら、アメリカ来てから、全く持ってちゃらんぽらんだったかも知れない。そう思うと恐くなる。
 

TV DRAMA

最近は便利な世の中になって、昔のTV番組(ドラマ)もDLして見れる、というのが可能だ。日本のドラマは友達に頼んで、医龍を見ているが、なかなかだ。

アメリカもドラマをやっているが、学生時代は忙しくてほとんど見れなかった。語学学校時代に見ていたドラマと言えば、アリー マイ ラブ、という日本でもやっていたものと、大ファンのER。(シーズンが過ぎると面白くなくなったようだが。)でも、英語も当時は発展途上だったので、全くもって意味が分からなかったエピソードも多い。

それと、日本では、かなりハマっていたのが、ビバリーヒルズ高校白書と青春白書。考えてみれば、何、10年も続いたらしい。最終回は見ないと、と思って、こっちで見た気がする(うろ覚え)。

ところで、もう終了してしまったが、大好きだったドラマがある。今回夏休みだし、むかーし、インディアナ時代に見ていたTVがどうしても見たくなったので、ウェブで探してみた。その名も、Boston Public。

当時アメリカで先生になろう、ということを意識し始めたときで、このドラマはいろんな衝撃を与えた。あまり見れなかったけど、性教育だとか、先生間の関係だとか、そういうことをやっていた気がする。お世話になったインディアナ時代の高校の校長先生に薦められてみたのがきっかけ。

ドラマだから、どれほど信じていいのか?という疑問のあったし、田舎の高校でこんなことは起こるのか?(ドラマの設定はボストンの公立高校)なんて、思っていたが、いざ現場に入ってみると、ドラマで起っていたようなことも起るので、びっくりした記憶もある。(高校生の飲酒運転なんて、こっちであるのか?なんて思っていたら、本当にそういうのがあったり、えー、まじで?って思うような、いじめで自殺、なんてことも、ドラマであったように、おきたこともある)

とういうわけで、自分が本格的に高校で働く前に是非、予備知識を入れておこう、と思い、DVDを購入。全4シーズン、81話。1日1話見れば、夏休みも終わりに近づくだろう。
 

数学は暗記!?

数学を勉強していると、何故かモチベーションが下がったりする。その理由を考えると、「俺には数学の細才能がないのではないか?」ということが頭に入って来たり、「数学って役に立たないのではないか?」なんて思ったり・・・。とまあ、自分の興味があんまりないことを勉強するときはいつもこうなんだが・・・。

というわけで、そういうときは「どう勉強しよう」ということを根本から考えてみよう、と思って、以前オークション(Yahooのね)で買った『数学の学び方』 (岩波講座 基礎数学)という本を読んでみた。小平邦彦氏が編集した本。

1987年にでている本なので多少古いが、それでも、ためになることが書いてあった。(数学式がたくさん出ているところは飛ばして読んだ。)小平先生の学習の仕方(自身がどう勉強して来たか)のところを読んで、思わず、えっ?!って思った。それは、氏が

「数学は暗記だ」

といっている部分だ。読書百遍自ずから意通ず、の通り、「よくわからないところは、徹底的にノートに書いて、書いて、覚えるまでやれ」という旨のことが書いてあった。それをやった結果、「なんとか理解した」という。

数学と聞けば、「発想だ」とか「イメージだ」とか聞かれる。多少なりとも必要だとは思うが、そういうことをはしがきに書かれた数学を勉強しようとしている苦手な人間(俺のような)は、「俺は数学には向いてない」と思ってしまう。ところが、「暗記」と聞けば、それなりに、努力すれば身に付くもの、覚えるもの、という感じを捨てがたい。

歴史の用語、年代、人物を覚えるような、丸暗記というのとは、全く持って意味が違うと思うが、それでも、「数学は暗記だ」と言う、元東大教授の言う言葉には深みがある。しかも自身がそれを実践した来たのだから。(ちなみに彼の東大の授業で、セミナー形式の授業は、学生が割り当てられた問題や証明を発表するらしいのだが、そのとき、「何も見てはいけない」らしい。ここにも、「暗記」を取り入れている)

受験数学と大学の数学は全然方向性が違うと思うが(同じ数学なので、内容はかぶる部分があるだろうが)、大学数学を端的に表したような文だと思った。

数学に王道はない、と書かれてあるが、「暗記」ということを通して、地道な努力が必要なのは、言うまでもないだろう。

「おわりに」のセクション(P159-160)を引用したい。
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これまで、関係式 (1)
exp(iθ) = cosθ + i sinθ
を出発点として、それにまつわる題材を軸に、 数学における典型的な考え方の一端を紹介した。
また、はじめに述べたことと関連して、 明晰に考えることの見本も述べたつもりである。

話は数学からそれるが、何かものを習い始めるとき、
先達から要領やこつを教わることは非常に有効であり、
そうでないのと較べると能率のよさには格段の差がある。
筆者は年をとってからスキーを始めようと思いたったが、
若い人達とスキー学校で肩を並べるのはてれくさく、 ほぼ独力で滑り始めたところ、
2日目に曲るべきところで曲がりきれずに脚の骨を折るという苦い経験をした。
まさに生兵法は怪我の元という諺を地で行く結果である。

しかし、いくらこつを教えられても、
それを身につけるのにはまた別の努力や感覚が必要なことも明らかであう。
筆者はかつて渓流のやまめ釣りに挑戦したことがある。
そのときは名人ともいうべき友人が同行していて、 最初にあれこれと細かく注意を与えてくれた。
2時間ほどの試行の結果は、ほとんど同じ場所にもかかわらず、
友人が 5匹を上廻る釣果でこちらは零であった。
そのときの友人の言葉は印象的であった。
「同じ川の同じ場所のあありを日や時間を変えて何度でも当ってみろ。
そのうちにきっと魚とのなじみができてくる。
そうすれば、そよの川へ行っても いくらでも応用がきくようになる。」
この言葉は数学 (やその他の学問) の学習にも一脈通ずるものであろう。
要は、本人の研鑽の努力ここが最善で最後の極め手である。
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さて、数学でも勉強しよう。
 

イチロー

サッカーワールドカップ最中だけど、野球の話。

知り合いの先生のブログにイチローのことが書いてあった。(一昨年のことだが)抜粋ます。

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あまり表情を変えないそのイチローが
少年時代に涙を見せたというときがあります。
その場所はどんなところだと思いますか。

(1)野球部の部室
(2)いつも練習する学校のグランド
(3)大会のあった野球場
(4)バッティングセンター

…正解は…

(4)のバッティングセンターです。

イチローは、少年時代のある日
バッティングセンターのバッターボックスで
涙を流したと言われています。
それは思うように自分のバッティングができなくて
くやしくて涙を流したのです。

もしかしたら、皆さんにもそういうことがあるかもしれません。
しかし、例えばそれはみんなとの練習中だったり
試合中だったりすることが多いのではないでしょうか。
先生やコーチに注意され、叱られてという場合ではないでしょうか。

イチローが泣いたのは、
バッティングセンターの、たった一人のバッターボックスです。

周りにどう思われるとか、
勝ったり負けたりすることに関係なく
「できない自分が本当にくやしい」と
心の底から思っているからでしょう。

昨日のインタビューでこんな質問がありました。
「イチロー選手にとって満足するとはどういうことか」
それに対して、こんなふうに答えています。
「少なくても、誰かに勝ったときではない。
 自分が定めたものを達成したとき」

皆さんには、自分が定めた目標がありますか。

定めたものに対しての努力を続けていますか。
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ふと、思ってしまった。

「自分がなりたかった職業に就いた」という目標が達成されたあと、皆さんだったらどんな目標を定めて、それに対して努力をしますか?

「先生になる」という目標は達成した。次なる目標を立てないといけないな、とN先生のブログを読みながら、イチローの話を読みながら思ってしまった。これは夏休みの課題ということになるか・・・。
 

マックのデータ置換

昨日、5時間ほどかかって、2つのマックにあるデータを移し替えた。これで両方とも30GBほどの余裕ができた。

iBookのほうは、そんなに時間がかからなかったが、iMacのほうは死ぬ程時間がかかる。多分、メモリが少ないからだと思うが、途中でフリーズしないかな、とか心配になってしまった。

今度はCDROMにあるデータを移しはじめよう。
 
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