2008/12/13(Sat)
Tunisia Trip #7: カルタゴ・シディ・ブ・サイド(その1)
写真をアップするので、今日1日の探検は数回にわけます。
今日はあまりにも天気がいいので、絶好の観光日和!なので、カルタゴ、カルセージ(英語読み)、カルタージュ(仏語読み)に行ってきました。
チュニスのそばにあるので、タクシーをチャーターして、行ってきた訳ですが。。。
カルタゴは世界史の最初のほうに出てくる商業都市だ。カルタゴはカルト・ハダシュト(新しい町)とフェニキア語で言うらしい。ある都市の王妃エリッサがこの土地に来たことから、カルタゴの歴史が始まると言われている。
(あ、未履修の人はしてないか)約前270年頃に全盛期で、ヨーロッパで猛威を振るったローマ帝国との戦いは、「ポエニ戦争」と呼ばれる。(ポエニというのは、フェニキアという意味ならしい。フェニキア人がここに定住していた)
このポエニ戦争は3次まで続く。
第1次は、前260年から前241年ころ。地中海のシチリア島の利権をめぐって、ローマと衝突。あっけなくカルタゴは敗北。
第2次は、前218~前201年。ハンニバルがゾウにのってアルプスを超え、イタリア半島に侵攻していったのは有名な話。しかしローマの将軍スキピオによって追いつめられ、ザマの戦いでまた敗北。この戦争で、カルタゴはアフリカ以外のすべての領土を失ったそうだ。
第3次は、第2次ポエニ戦争の敗北の10年後には、カルタゴは徐々に復活し、また脅威となったため、ローマと戦争。(詳しいことは僕は習ってません。)3年も籠城したあとに、カルタゴの町に侵入し、市街戦の結果、市の中心、ビュルサの丘に火をつけられ、20日間ほど燃えたという。すべてのものが破壊され、人も住めず、作物もとれないように、塩を撒かれた、という話がある。前146年に滅亡した。
その後、ローマによるカルタゴ支配が始まった。カエサルがカルタゴの再建を計画し、アウグストゥスが植民市を建設。また黄金時代になる。
2世紀には、かなり多くの工事が行われ、巨大な建造物も立てられるようになる。
とまあ歴史はこれくらいにして、まず最初は、カルタゴ博物館、ビュルサの丘、セントルイス協会。
ビュルサ丘は、カルタゴの中心地だったそうです。ここからのカルタゴ、チュニスの眺めは本当にきれいでした。
カルタゴ博物館には、像、モザイク、生活用品(陶器や皿など)、交易品も展示してあった。が、何ぶん説明がアラビア語とフランス語だけなので、ふ~ん、って見て回ることしかできませんでした。。。
このアクロポリウムは1840年に立てられたそうだ。フランス国王聖ルイ9世に捧げられている。
その2に続きます。
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今日はあまりにも天気がいいので、絶好の観光日和!なので、カルタゴ、カルセージ(英語読み)、カルタージュ(仏語読み)に行ってきました。
チュニスのそばにあるので、タクシーをチャーターして、行ってきた訳ですが。。。
カルタゴは世界史の最初のほうに出てくる商業都市だ。カルタゴはカルト・ハダシュト(新しい町)とフェニキア語で言うらしい。ある都市の王妃エリッサがこの土地に来たことから、カルタゴの歴史が始まると言われている。
(あ、未履修の人はしてないか)約前270年頃に全盛期で、ヨーロッパで猛威を振るったローマ帝国との戦いは、「ポエニ戦争」と呼ばれる。(ポエニというのは、フェニキアという意味ならしい。フェニキア人がここに定住していた)
このポエニ戦争は3次まで続く。
第1次は、前260年から前241年ころ。地中海のシチリア島の利権をめぐって、ローマと衝突。あっけなくカルタゴは敗北。
第2次は、前218~前201年。ハンニバルがゾウにのってアルプスを超え、イタリア半島に侵攻していったのは有名な話。しかしローマの将軍スキピオによって追いつめられ、ザマの戦いでまた敗北。この戦争で、カルタゴはアフリカ以外のすべての領土を失ったそうだ。
第3次は、第2次ポエニ戦争の敗北の10年後には、カルタゴは徐々に復活し、また脅威となったため、ローマと戦争。(詳しいことは僕は習ってません。)3年も籠城したあとに、カルタゴの町に侵入し、市街戦の結果、市の中心、ビュルサの丘に火をつけられ、20日間ほど燃えたという。すべてのものが破壊され、人も住めず、作物もとれないように、塩を撒かれた、という話がある。前146年に滅亡した。
その後、ローマによるカルタゴ支配が始まった。カエサルがカルタゴの再建を計画し、アウグストゥスが植民市を建設。また黄金時代になる。
2世紀には、かなり多くの工事が行われ、巨大な建造物も立てられるようになる。
とまあ歴史はこれくらいにして、まず最初は、カルタゴ博物館、ビュルサの丘、セントルイス協会。
ビュルサ丘は、カルタゴの中心地だったそうです。ここからのカルタゴ、チュニスの眺めは本当にきれいでした。
カルタゴ博物館には、像、モザイク、生活用品(陶器や皿など)、交易品も展示してあった。が、何ぶん説明がアラビア語とフランス語だけなので、ふ~ん、って見て回ることしかできませんでした。。。
このアクロポリウムは1840年に立てられたそうだ。フランス国王聖ルイ9世に捧げられている。
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