すいません。
先ほどはあまりにもおなかが減って、日本食食べにいってました。
朝起きてから、夜8時頃まで何も食べてなかったもので・・・。
さて、今日一日。
インタビューは
9時半:学校A
1時半:学校B(2次)
2時半:学校A(2次)オファーをもらう
4時:学校C
5時:学校D(2次)オファーをもらう
5時半:学校B(3次)オファーをもらう
こういう結果になりました。
9時半のインタビューは、そう、昨日サボってしまったもの。
僕も正直、申し訳ない気持ちでいっぱいだったのと、この学校はアメリカンスクールと名がつくところなので、向こうも「アメリカ人を優先します」ときっぱり言われたけど、「インタビューしてもいいわよ」と、サインアップのときに言われたのでした。が、昨日サボってしまったので、今日は予定時刻よりも、実に20分も前に到着して、時間が過ぎるのを待つ。
教育長と中学部の校長先生とのインタビューでした。
普通、こういうインタビューは30分で終わるし、昨日のはそうだったので、これもそうだろう、と思ったし、何ぶん最初に「アメリカ・・・」っていわれてたので、こんな一日本人を雇うわけないだろうと、正直にすべて話しました。実は、高校のポジションに行きたいこと、校長と数学主任と多いにもめたこと、今いるスタッフとは仲良くやっているけど、本当は関わりたくないこと。
そう、面接では「ネガティブなことを言ってはいけない」という規則があります。そりゃ、そうですよ。現任校の文句を言っているわけですからね。
でも、このインタビューは、かなりうまくいき、前もって「これは練習だと思っています」ってきっっぱりいっちゃったもんだから、スムーズに相手の質問に答えることができました。お得意のジョークも含めて。なので、かなり和やかでした。
2つ目の学校とは、昨日1次の面接をした日本の学校と。
ここも、あまり乗り気ではなかった。中学校だけだからだと思うし、面接も超カタグルシイモノでした。こっちのギャグに対して笑わない。無愛想だな、って思いました。(まあ日本で働いているから、そんなもんだろうな、と)昨日と同じような質問をディレクターとして、30分ほどで終了。
3つ目。
なんと信じられないことに1つ目の面接の学校からオファーをもらってしまいました。
彼らは「本心で話してくれたこと」と「あなたの推薦状を読んでたら、アメリカ人とかどうでもよくなった」と。なので、その学校では初の日本人数学教師です。ただし、中学校ですよ、また。
2010年に新校舎に異動するときに、高校へ異動させるということを条件に出してくれました。中学部の校長先生が僕をえらく気にってくれて(しかもミネソタで「お、秋田と姉妹都市じゃん」みたいなことも知っていた)、今後2年間は私の元で働いてもらいます、と言われました。
夢に出てきた "Mr. Fumi, would you come to teach our school?"は、例の第1希望の学校の校長ではなく、ここの校長だったのかもしれません。
理事長も、ギャグがお好きな方で、俺が何度となく、Fワードを連発したのをものともせず、「単に学生のことを考えたら、他の6人のアメリカ人より、お前の方がよっぽど適している」と、言われました。
僕ね、なんか、胸に突っかかっていたものがすーっと抜けた感じがしました。
それは、緊張とかなんとかではなくて(というのも、この面接自体練習だと思っていたから)、こういうボスのもとで働けるのは光栄だ、と思えたからです。理事長と話すことなんか、こういうときぐらいしかないですからね。
そして、オファーをもらいました。
4時からの面接は、待ってました、中国・上海の学校です。
ウェブのデータをみて、是非、この人に会ってみよう、って思ったらしく、面接にこぎ着けました。
が、僕にふさわしいものがないので、結局は、「ネットワーキング」作りで終わってしまいました。
でも、社会科のポジションを是非僕にやってもらいたいんだけど、と言われたときには、とてもうれしかったですよ。校長先生もいい人でした。面接も穏やか。
5時からは、フィリピンの学校。昨日も1回会っていて、ここは、昨日書いた、IBのポジションをアゲル、ということを前提としていました。
理事長が「昨日ね、校長と話をして、君には、9年と10年の数学が適している、と思ったんだよね」と、昨日と違うことを話し始めた。そして、コントラクトを出して、正式にオファー。
あのね〜、9年と10年教えるんだったら、もうやったことあるんだからいいんですよ。IBという肩書きがほしいんだから。
断っていませんが、こういう理事長をみると、うちの校長を思い出します。散々お願いしておいたことを、最後の最後でひっくり返す。去年、実にこの優柔不断な決断に悩まされました。(それを思い出しました)
なので、IB教えれるんだったら、例え給料が安くてもいいか、と思っていたんですが、心の中ではもうここには行きません、という烙印を押しました。
5時半からのミーティングは、例の日本のインターナショナルスクールと。ここも何故か、オファーをしてきました。一応、今晩考えておきます、と言ったのですが、明日正式に断るつもりです。
じゃ、一体どこに決めたんだ、と気になると思います。
そうです。
昨日、インタビューを無視して、9時半に会って、好き勝手なことを1時間半も言わせてもらって、2時半にオファーをもらった学校に決めました。その名も・・・・・・・・・・・・・・・(見えにくいけど、右下の「続きを読む」をクリックしてくださいね)
1クリックよろしくお願いします。

先ほどはあまりにもおなかが減って、日本食食べにいってました。
朝起きてから、夜8時頃まで何も食べてなかったもので・・・。
さて、今日一日。
インタビューは
9時半:学校A
1時半:学校B(2次)
2時半:学校A(2次)オファーをもらう
4時:学校C
5時:学校D(2次)オファーをもらう
5時半:学校B(3次)オファーをもらう
こういう結果になりました。
9時半のインタビューは、そう、昨日サボってしまったもの。
僕も正直、申し訳ない気持ちでいっぱいだったのと、この学校はアメリカンスクールと名がつくところなので、向こうも「アメリカ人を優先します」ときっぱり言われたけど、「インタビューしてもいいわよ」と、サインアップのときに言われたのでした。が、昨日サボってしまったので、今日は予定時刻よりも、実に20分も前に到着して、時間が過ぎるのを待つ。
教育長と中学部の校長先生とのインタビューでした。
普通、こういうインタビューは30分で終わるし、昨日のはそうだったので、これもそうだろう、と思ったし、何ぶん最初に「アメリカ・・・」っていわれてたので、こんな一日本人を雇うわけないだろうと、正直にすべて話しました。実は、高校のポジションに行きたいこと、校長と数学主任と多いにもめたこと、今いるスタッフとは仲良くやっているけど、本当は関わりたくないこと。
そう、面接では「ネガティブなことを言ってはいけない」という規則があります。そりゃ、そうですよ。現任校の文句を言っているわけですからね。
でも、このインタビューは、かなりうまくいき、前もって「これは練習だと思っています」ってきっっぱりいっちゃったもんだから、スムーズに相手の質問に答えることができました。お得意のジョークも含めて。なので、かなり和やかでした。
2つ目の学校とは、昨日1次の面接をした日本の学校と。
ここも、あまり乗り気ではなかった。中学校だけだからだと思うし、面接も超カタグルシイモノでした。こっちのギャグに対して笑わない。無愛想だな、って思いました。(まあ日本で働いているから、そんなもんだろうな、と)昨日と同じような質問をディレクターとして、30分ほどで終了。
3つ目。
なんと信じられないことに1つ目の面接の学校からオファーをもらってしまいました。
彼らは「本心で話してくれたこと」と「あなたの推薦状を読んでたら、アメリカ人とかどうでもよくなった」と。なので、その学校では初の日本人数学教師です。ただし、中学校ですよ、また。
2010年に新校舎に異動するときに、高校へ異動させるということを条件に出してくれました。中学部の校長先生が僕をえらく気にってくれて(しかもミネソタで「お、秋田と姉妹都市じゃん」みたいなことも知っていた)、今後2年間は私の元で働いてもらいます、と言われました。
夢に出てきた "Mr. Fumi, would you come to teach our school?"は、例の第1希望の学校の校長ではなく、ここの校長だったのかもしれません。
理事長も、ギャグがお好きな方で、俺が何度となく、Fワードを連発したのをものともせず、「単に学生のことを考えたら、他の6人のアメリカ人より、お前の方がよっぽど適している」と、言われました。
僕ね、なんか、胸に突っかかっていたものがすーっと抜けた感じがしました。
それは、緊張とかなんとかではなくて(というのも、この面接自体練習だと思っていたから)、こういうボスのもとで働けるのは光栄だ、と思えたからです。理事長と話すことなんか、こういうときぐらいしかないですからね。
そして、オファーをもらいました。
4時からの面接は、待ってました、中国・上海の学校です。
ウェブのデータをみて、是非、この人に会ってみよう、って思ったらしく、面接にこぎ着けました。
が、僕にふさわしいものがないので、結局は、「ネットワーキング」作りで終わってしまいました。
でも、社会科のポジションを是非僕にやってもらいたいんだけど、と言われたときには、とてもうれしかったですよ。校長先生もいい人でした。面接も穏やか。
5時からは、フィリピンの学校。昨日も1回会っていて、ここは、昨日書いた、IBのポジションをアゲル、ということを前提としていました。
理事長が「昨日ね、校長と話をして、君には、9年と10年の数学が適している、と思ったんだよね」と、昨日と違うことを話し始めた。そして、コントラクトを出して、正式にオファー。
あのね〜、9年と10年教えるんだったら、もうやったことあるんだからいいんですよ。IBという肩書きがほしいんだから。
断っていませんが、こういう理事長をみると、うちの校長を思い出します。散々お願いしておいたことを、最後の最後でひっくり返す。去年、実にこの優柔不断な決断に悩まされました。(それを思い出しました)
なので、IB教えれるんだったら、例え給料が安くてもいいか、と思っていたんですが、心の中ではもうここには行きません、という烙印を押しました。
5時半からのミーティングは、例の日本のインターナショナルスクールと。ここも何故か、オファーをしてきました。一応、今晩考えておきます、と言ったのですが、明日正式に断るつもりです。
じゃ、一体どこに決めたんだ、と気になると思います。
そうです。
昨日、インタビューを無視して、9時半に会って、好き勝手なことを1時間半も言わせてもらって、2時半にオファーをもらった学校に決めました。その名も・・・・・・・・・・・・・・・(見えにくいけど、右下の「続きを読む」をクリックしてくださいね)
1クリックよろしくお願いします。
American School of Dubai
ハッキリ言いますね。お金で決めました。
最終的にはそこにくるんだけど、インタビューをしてて一番楽しんだ会話が出来たのはここだし、そういう日本人のわがまま、Fワード連発のジョーク、タバコ吸うんですよ、とか、最初の1ヶ月は親に何を言われようとも、厳しくする、とか、そういうことをいいたい放題言わせてもらって、それを、「はははは」と笑ってくれて、そういう人を一番でとってくれるんだから、ここしかないですよ。
インタビューのあとのフィードバックも「なるほど」と思うことを僕に言ってくれました。
最悪なこと(アポをミスる)をしたうえに、言いたい放題言った。でも、結局ポジションをオファーされた。実にこれは
マイナス × マイナス = プラス
ですね、と校長先生にいったら、ははは、授業で使うなよ、と釘を刺されましたよ。
さて、前にも言ったように、今回の異動では、クビにならないなら、少し落ち着こうと思っています。
アジアじゃねーぞ、と言われるかもしれないけど、エミレーツ航空に乗れば、乗り換えなしで日本に帰れるので、それはそれで、楽だな、と思ったわけです。
イスラム教の神様、アッラーは、砂漠の都市に僕を置いておきたいんでしょうか?
アルハムドゥリッラー。ありがとう、アッラー、ってな気分です。
ドバイだけあって、給料は今の2倍。アパートもベッドルームが2つ。退職金手当が30%もでるし、何ぶん、申し込めば修士もとれる。
現地に着いた時点でもらえる、Settling Allowance(なんて訳すのかな?)、住むのに必要なものを買うお金も学校が出してくれるのですが、なんと8000ドルですよ!(バーレーンなんか600ドルでした)アメリカいたら、車買えるっつーの。
条件の「2年中学、4年高校」というのを実現させてくれるのであれば、本当に最初に教えた学生が卒業するまで居座ろうと思います。
それは、もうこんなジョブフェアはご免だ!って思うから。
一番最後に教育長が
「バンコクでは、誰も雇わないで帰ろうと思ったけど、大収穫だ。しかも初の日本人スタッフ!」
とおっしゃられて、彼らはドバイに旅立ちました。
繰り返します。
まだ契約書にサインしてないけど、
次の転勤先はアラブ首長国連邦・ドバイです。
バーレーンからドバイまで、飛行機で1時間ほど。
秋田から東京に転勤になるようなものですね。
ま、引っ越しが楽になるからいっかな。
僕のジョブフェア関連の盛り上がりは、フェアが始まって、3日目にして終わりです。
でも、バンコクには金曜日までいるので、日記は書き続けますけどね。
お父さん、お母さん、家族のみなさん、日本の友達の皆さん。
本当にすみません。ごめんなさい。
アジア復帰にはなりませんでした。次は考えたくないので、とりあえず、ドバイで来年からはがんばりたいと思います。(ちなみに、学生はノンアラブで、ほとんどがアメリカ人です。)
1クリックよろしくお願いします。
ハッキリ言いますね。お金で決めました。
最終的にはそこにくるんだけど、インタビューをしてて一番楽しんだ会話が出来たのはここだし、そういう日本人のわがまま、Fワード連発のジョーク、タバコ吸うんですよ、とか、最初の1ヶ月は親に何を言われようとも、厳しくする、とか、そういうことをいいたい放題言わせてもらって、それを、「はははは」と笑ってくれて、そういう人を一番でとってくれるんだから、ここしかないですよ。
インタビューのあとのフィードバックも「なるほど」と思うことを僕に言ってくれました。
最悪なこと(アポをミスる)をしたうえに、言いたい放題言った。でも、結局ポジションをオファーされた。実にこれは
マイナス × マイナス = プラス
ですね、と校長先生にいったら、ははは、授業で使うなよ、と釘を刺されましたよ。
さて、前にも言ったように、今回の異動では、クビにならないなら、少し落ち着こうと思っています。
アジアじゃねーぞ、と言われるかもしれないけど、エミレーツ航空に乗れば、乗り換えなしで日本に帰れるので、それはそれで、楽だな、と思ったわけです。
イスラム教の神様、アッラーは、砂漠の都市に僕を置いておきたいんでしょうか?
アルハムドゥリッラー。ありがとう、アッラー、ってな気分です。
ドバイだけあって、給料は今の2倍。アパートもベッドルームが2つ。退職金手当が30%もでるし、何ぶん、申し込めば修士もとれる。
現地に着いた時点でもらえる、Settling Allowance(なんて訳すのかな?)、住むのに必要なものを買うお金も学校が出してくれるのですが、なんと8000ドルですよ!(バーレーンなんか600ドルでした)アメリカいたら、車買えるっつーの。
条件の「2年中学、4年高校」というのを実現させてくれるのであれば、本当に最初に教えた学生が卒業するまで居座ろうと思います。
それは、もうこんなジョブフェアはご免だ!って思うから。
一番最後に教育長が
「バンコクでは、誰も雇わないで帰ろうと思ったけど、大収穫だ。しかも初の日本人スタッフ!」
とおっしゃられて、彼らはドバイに旅立ちました。
繰り返します。
まだ契約書にサインしてないけど、
次の転勤先はアラブ首長国連邦・ドバイです。
バーレーンからドバイまで、飛行機で1時間ほど。
秋田から東京に転勤になるようなものですね。
ま、引っ越しが楽になるからいっかな。
僕のジョブフェア関連の盛り上がりは、フェアが始まって、3日目にして終わりです。
でも、バンコクには金曜日までいるので、日記は書き続けますけどね。
お父さん、お母さん、家族のみなさん、日本の友達の皆さん。
本当にすみません。ごめんなさい。
アジア復帰にはなりませんでした。次は考えたくないので、とりあえず、ドバイで来年からはがんばりたいと思います。(ちなみに、学生はノンアラブで、ほとんどがアメリカ人です。)
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