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中学校ではたくさんの先生方にお世話になった。3、4回、「中学校編」が続きます。

中学校に入って、一番お世話になったのは、担任以上に当時教務主任だった、S先生。
先生は、地元の中学校とは深いつながりがあって、

うちの母親が国語を習い、
俺の代は教務主任で、
弟のとき校長先生として、勤務した、

という親子でお世話になった先生でもある。

自分自身、なぜこんなにS先生と仲良くなったのかはわからない(笑)。

ただ厳しい先生だったことだけは覚えている。一、二回、国語の授業になってきたとき、

竹刀持参(!)
だるそうにしていると、怒鳴る(!!)
寝ている生徒、肘をついている生徒には、チョークが飛ぶ(!!!)

という規律には厳しい先生。ところが、授業はとてもわかりやすい。

中1の当時の教科書にあった、「木琴」(だったような?)の詩の授業で、解釈の仕方を教えてくれたり、何と言っても、これも中1の教材「赤い実」(井上靖)の授業のときの、その芸術的板書。
たかだか、中学校1年生の「わけもわからない」意見を忠実に板書し、いろいろ考えを引き出すやり方は今でも印象に残っている。

僕が中2になった時点で、Y北中の教頭先生になり転勤。その後もつながりがあり、よく家に遊びにいったな。

中3になったときは、勉強合宿なるものをS先生の家でやった。朝から晩まで勉強に付き合ってもらった。(数学以外の教科だったけど)

俺が高校に入って一人暮らしをしていたとき、S先生の奥さんがラーメン屋を経営しているので、「ラーメン食べにこい」といつもラーメンなどをおごってくれた。

浪人中は連絡がとれなかった(東京にいたもので)。

僕がアメリカに行く前に中学校の校長職を退職。
いくらか時間があったので、いろいろ話をした。教育について語りだすと、冷めた口調で熱いことをいう。

去年帰ったときは、いろいろ私事があって大変だったが、いろいろ時間を作ってくれた。

先生になることを告げたら、喜ばれた。奥さんは「こういう先生にはなるなよ」とか茶化していたが、「いや、こういう先生にならないとな」と思った。厳しさの中に優しさがある、とはS先生のためにあるような言葉だと思う。

S先生とはもう10年以上の付き合いになる。授業がうまくいかなかったとき、学校でいいことがなかったとき、いつも国際電話をして相談していた。

いつも
「半分日本人を忘れて、半分アメリカ人になれ!」
とか
「日本さくるな、いいごどね」(日本に帰ってくるな、いいことがない)
とか
「アメリカで先生やれ」
とか思い出すと、「アメリカで先生をすること」にいつも励まされていた。

とS先生のことを書いていると、「久しぶりに電話してみようかな」という気になった。
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